先月末に私だけ先に退院して家に帰ってきました。
更新しようしようとずっと思っていたのですが、
毎日病院に面会と母乳を届けに通ったあと簡単に家事を済ませたら、
入院中長らく寝不足が続いていたせいもあってか
眠たくて…パソコンをひらけずにいました。。
今日は、手術の前一週間の出来事を書いていきたいと思います。
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9月14日(31週1日)の夕方、
今までにないおなかの張りを感じて一時間ほど回数を数えてみる。
ルテオニンの点滴をつけて以来、点滴の効果は?と言いたくなるほど
毎日張って張ってどんどん流量が上がっていったものの、
この日のような張りは今までなく…
5分おき、3分おきと間隔が短くなっていて不安になる。
ナースコールで呼んだのか、
たまたま点滴をチェックしにきた看護師さんだったのか覚えてないけど
短い間隔で張っていることを伝える。
長い入院生活のなかでいろんな人と同じ部屋になって話をしてきて、
「双子の妊婦さんがおなかの異常を感じて先生に伝えたけど
出すのが遅れて一人の子は仮死状態で産まれて…」とか
不安になるようなことも聞いてきて、
うちの母さんが双子を9ヶ月で死産したこともあるし、
『点滴の流量をこれだけ上げてもまだこんなに張るなんて異常なのでは』
とすごく怖くなってきて、
その時来てくれた看護師さんに状況を伝えている間に
涙がぼろぼろ出てきて止まらなくなって
今まで人前でこんなに泣いたことないっていうくらい泣いた。
若い、1・2年くらいの看護師さんだったけど
「今までずっと不安なのを我慢してきたんだね」って優しく話を聞いてくれて
その後モニターで張り具合をチェック。
やっぱり3分おきに張っていて
おなかが痛くて起き上がってすわることもできず、
夕飯は食べることもできなかった。
先生が診察に来てエコーをしてもらっているときも
かなりの頻度で張っていたけどそのときはまだ先生は
「34週までは…」と言って去る。。
トイレに行くために歩くことすら難しくなっていたので
消灯間際に看護師さんに言って、
部屋でポータブルトイレを使えるように個室へ移動。
夕方の時点で点滴をさらに上げるも張りはまだおさまらず、
“張るときに痛い”というより
“ずっと痛くていつ張っているのかわからない”ほどに。
夜中の一時になってから最終兵器(?)の点滴、
“マグセント”を追加される。
ルテオニン4Aを36ml/h+マグセントを40ml/hで
陣痛になりかけてるのを一気に止める。
その後は通常の流量に戻し、なんとか張りはおさまる。
マグセントはルテオニンより副作用が強く、
常に脈拍が110~130で寝ていても運動状態で
のどと口の中が乾き飲んでも飲んでも潤わない。
とにかくずっと暑く、顔が真っ赤。
眠れない。
手の震えがひどく、メールを打つのもおっくうになる…など。
ずっと心電図をつけられているのでトイレのためにベッドから出るにも
コードが邪魔で不便だし、
体が重いので部屋の中にある水道までの移動もできず顔は拭くのみ。
1人ではやっていけないと感じ、母さんに泊りこみで来てもらった。
そんな絶対安静の生活をしていてもおなかは張るし、
先生ももう出しどきだと思ったのか、
15・16日の二回赤ちゃんの肺の成熟を促す注射(リンデロン)を打つ。
その効果が現れるのは48時間後以降ということで
もう長くはもたせられないということもあって20日に手術が決まる。
カプロシンの注射は手術前日の朝で終わり。
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この最後の一週間が長くて、またますますおなかも大きくなって
しんどくて、正直早く出して欲しかったけど
無事出てきたときにやっと「あのとき頑張ってよかった」と思えました。
ちなみに、手術の日の朝測ってもらった腹囲と子宮底長は
109cmと48cmでした。
苦しいはずだ…。。
長くなったので今回はこのへんで…
手術のことはまた別で書いていきます。
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